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姫路市連合PTA協議会沿革 〜姫路市連合体の沿革〜

姫路市でも昭和23年度(1948年)に姫路市内の各PTAの連合体として姫路市連合育友会として発足し、昭和41年度には姫路市小中学校連合育友会と名称を変更する。
昭和43年度(昭和44年2月23日)に創立20周年記念大会を姫路市公会堂大ホールで開催。
昭和49年度には姫路市小中学校連合PTA協議会へ、平成7年度に姫路市連合PTA協議会と名称を変更し現在に至っています。

創立20周年時の寄稿文から 〜抜粋〜

「育友会回想の記」 黒川録朗 氏 1909年(明治42年)~1982年(昭和57年)
第6代 姫路市小中学校育友会(現姫路市連合PTA協議会)会長

祝辞のいえない二十周年

──思えば──終戦の翌年、CIE(占領軍民間情報教育局)が「日本の教育再建と民主化のため、PTAを急ぎ設立すること」を文部省に指示してはじまった。
この国のPTAづくりは昭和23年には早くも全国小中学の90%以上に結成されたのであった。
ところが、この思いがけなく天降ったPTAというものに対して、学校も親たちもさっぱり戸惑いながら、その手引きパンフレットをたよりに「PTAは子どもの教育向上のため、親と教師が協調する」という、きわめて漠然としたことは分かったがさて、具体的に何をどのようにするのか、ということは皆目暗中模索の状態であった。

しかし、そんなことを悠長に論議するよりも、目前の現実はあまりにきびしい当時であった。
──戦災で焼失した学校の青空教室、荒れ果てた校舎での二部三部授業、さらに六三制の強行で是が非でも建てねばならぬ新制中学は、殆んど公費は当てにならず──ここに発足したばかりのPTAは、学校建築や整備のため、会費や寄付集めに全力を集中しなければならなかったのであった。

先駆的前進する姫路育友会

昭和33年当連合育友会は「真実の育友会へ体質を改革するには寄付団体から脱皮すること」と結論し教育公費増額運動の第1歩として「全市小中学育友会経理実態調査」をはじめて実施し会員が年間に負担する教育費の実額とその使途、及び教育公費の実態を把握して公表し市当局へ要望交渉した結果「年次計画による育友会負担の解消」という市長公約と予想外の社会的反響をよびおこしたことが動機となってすべての育友会活動に俄然活気がみなぎったのであった。
連合幹部諸氏の献身的な努力によって毎年継続実施される「実態調査」を軸として育友会正常化への活動は着実に推進されているのである。

またこの調査活動に呼応した市当局の理解と誠意にみちた教育財政は昭和39年度以降年々大幅な予算増額を積み重ね、寄付援助から完全に開放された「真実の育友会」へ到達する日もまじかに近づいてきているのである。
しかも本市の連合育友会がその矛盾と対決し、解決への道をひらいた意欲的な活動と、市の教育財政に対する姿勢は既に全国的な注目をあび、それは全く「先駆的な前進」として高く評価されていることは事実である。

期待する「明日のPTA」

あれ以来、私は「実態調査」のオニになっていた。
──39年、私が県PTA連合会長であったとき「全県下小中学PTA経理実態調査」を実施、翌40年には近畿PTA連合会長の名において、日本PTA全国協議会へその「全国調査」を緊急提案し、言葉を絶する圧力と障害を押して、ついに全国3万8千の小中学PTAの実態調査を強行したのであった。
そして、その調査の主旨と集計は全国に大きな波紋と反響をおこしたのであったが、その間、終始私を勇気づけ確信をあたえ続けたものは、姫路における当連合会の「実態調査の成果」であり「PTA正常化への唯一の道は、この調査から再出発するより他になし」という姫路市の力強い実証であった。
──どんなに間違った不合理なことでも、無批判、無反省のまま長年月くりかえしているといつかそれがあたりまえのことになり、ついに正当化されてしまうものである。
──私は「実態調査」とともにあらゆるマスコミをとおして、できる限り「PTAの矛盾と改革」について訴え続け、いまようやく七年になるが、今日ではもはや国民的常識となった、PTA問題の自覚と論議は、全国的に強い改革ムードとなって、大きくうねっている現実を、私はまことに言い知れぬ思いで眺めているのである。

──さりながら、こんな実態調査や教育問題に必死にとりくむことは、無論真実のPTA活動以前の次元であり、決してPTA本来の仕事ではなく、やがて到来する「明日のPTA」における活動こそ、いよいよその本番というべきである。
──そこには「美しく悲しい親心」は既に消えて「良識と合理性にうらづけられた愛情」にみちた親たちが集まり「教育は学校だけに委せるものではなく家庭と社会と学校の、三者の協調による子どもの育成」という観点から、よき親、よき教師へと、あらゆる良識を高める「学習するPTA」であり、また「子どもの教育を守り、最も良い条件で育成するため、親と教師が協力して活動する自主的な団体」という立場から、常に外部に向って活発に「運動をすすめるPTA」である。
たとえば、学校施設、公害、交通補導、放送、出版物など、身近な何でもとり上げて目標を決定し、その対象、相手にむかって運動を推進し展開する。
たとえ不可能と思えるような問題でもひるまず、ためらわずに、それが解決するまで、教育のため、誠意と熱意をこめて息長くもり上げていくうちに、世論も同調して高まり、必ず道は開けるのである──希望にあふれ、たのもしい「明日のPTA」私は心はずませてその日を待っている。

終わりに去る二月二十三日 当連合育友会創立二十周年記念式におくった電文を、もう一度ここに託してこの稿をおく──

「二〇ネンノレキシヲカエリミテ シンジツノミチヲタシカメ、コンゴノハッテンヲイノル」
クロカワロクロウ 

(昭和44年3月15日発行 「第七号 子らとともに」より一部抜粋)